お医者さんが病人を病人と見たのでは病気は
治せない、といいます。
健康な人が、いま、たまたま病んでいるだけだと
見てこそ、病気の原因を見つけ、
治療すれば必ず健康な人間に戻るのだ、
と自信を持って治療に当たれるわけです。
まことにあたりまえのことですが、
そこが見えなくなることがあるのです。
親や先生に対して、恐ろしい形相で「てめえ」
呼ばわりして暴れるような子どもたちを
目の前にすると、この子が仏の子などとは、
とても信じられなくなります。
けれども、その子の心のなかでは、
「こんなことは、もうやめなくては」
と思う心と、自分に負けてしまう心が、
いつも葛藤しているのです。
子どもたちも、善悪は百も承知です。
損得も分かっています。
それでも言うことを聞けないのは、
感情が反発しているからなのですが、
自分の感情に負けてしまうその子どもが、
パッと変わってしまうことがあります。そこが、
「この子の心はいま一時的に病んでいるだけ
なのだ」と信じてくれる人の、ひと言なのです。
相手の仏性を信じてあげられる人の一言は、
百のお説教にまさるのです。